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12月24日

メリークリスマス!、ハッピーホリデイ!、ハッピークリスチャンデイ!!

 

昨日、最高のクリスマスプレゼントを聞いた。昨日家の側のバス停でバスを待っていたら、近所の21歳の男の子に偶然あった。ひさしぶりだったので、元気??とかそういう話をした。そうしたら、彼が『俺、ボストンの大学の学食でコックさん今してんだ!!』っていった。彼はよく家の側の道のコーナーで寒かろう、熱かろう関係なく麻薬を売っていた男の子だった。去年には彼の友人達がごっそり麻薬売買でつかまりみーんな刑務所にはいっていった。でもそのこ達もそれ以外に職がなかったからやっていた、とっても小規模のデイーラーだった。私はそのバス停の男の子が去年、友人達が捕まった直後に道ばたの陰に隠れて泣いていたのを覚えている。そして友人達のことを『奴らは俺が食べ物を買えなかったとき、少ないながらも分け合ってくれた、何も無いときにきて大丈夫だ、と励ましてくれたんだ』と泣いていた。私はマリファナすらやらないし、麻薬を肯定する気はない。でも貧困は悪だと心の底から思う。状況さえ変われば私だって、、、かもしれない。。バス停で会った彼は笑顔で『もう俺のこと道の角でなんかぜったい見かけないぜ!ちゃんとした職があるんだからな!』と得意そうにいった彼の笑顔と言葉は私にとって今年1番のクリスマスプレゼントだった。もちろん友人達が刑務所から出たときや、これからもたくさんの試練、テストが彼を待ち受けていると思う。偽善ぶる気はないが、でも私は心のそこから彼がまたそうしなくてはいけない状況におちいらないこと、諸々をほんとうに祈りたい。。。

 

Classmate

今日、写真学校時代の友人からテキストで写真学校時代のクラスメートが先週の日曜に亡くなった、との連絡を受けた。失礼なことに名前を最初に聞いたとき、すぐに顔が確信をもって浮かばなかった。私は5年前に卒業してから個人的な付き合いがあるのは今はもう1人しかいない。

出会えた人をもっと大切にしなくては、’せっかく縁があったのだから。

 

May you rest in peace and be free from all pain and suffering...

Halloweeeeeen!

Trick or Treat?

日本で育った私には映画でしか聞いた事の無い台詞だった。この台詞で1番印象にのこっている映画はクリントイーストウッドとケビンコスナー主演の「パーフェクトワールド」だろう。かなしいけど大好きな映画♡

 

それはいいとして、今年はじめて30にして私もTrick or Treatをした。アメリカにきてから、コスチュームパーティーとか友人たちとTrick or Treatにきた子ども達にキャンディをあげたりしたり、ハロウィーンの写真を撮ったりした事はあったが、Trick or Treatをしたのはじめて。大学時代は学校側の官庁街/ビーコンヒル高級住宅地でキャンディ配り、最近は仕事場側のボストン、サウスエンド高級住宅街でキャンディ配り、今年はドーチェスター家の側でTrick or Treat ;D

 

高級住宅街でのハロウィーンは、とにかく華やかだ。一軒一軒の家の外装が、お金をかけたであろう、華やかなハロウィーン仕立ての外装となり、ほぼ全ての家々、家族がこのハロウィーンの行事に参加して、配られるキャンディも豪華で、子ども達の仮装も凝っている。その為、高級住宅地(特にサウスエンド)では、地域以外からもたくさん子どもが集まり、日本の花火大会の露店なみに騒々しくなる。まあ、それはそれで楽しいのだが、一軒一軒の家にいきベルを鳴らして「Trick or Treat?』とやっていた私が昔みた映画のドキドキ感は半減だと思う。

 

さて今年はうちのルームメートが通っている近所の教会で午後5時から7時までハロウィーンパーティーが有るというので、いってみた。パーティーはまあ、ふつうの屋内のダッタと思う。ただ大人も子どもも仮装していた、というところだろう。(ちなみに私は簡単に仮装するものがなかったので、真っ赤な口紅と目のまわりに黒いシャドーとライナーをいれ、黒い服にデコレーション用のクモの巣わたをつけていったら、蜘蛛女?ときかれたので、そういうことにしておいた。)

 

パーティーは終わったあと、会場となった友人達の教会の片付けを手伝い、7時半くらいに教会をでて、家にむかって歩いていたら、教会のパーティーにいたデービッドというお父さんの家族と近所の子たちのTrick or Treatに偶然出くわした。一緒に言っていい?ってドキドキしながら聞いてみたら、快くおkしてくれたので一緒にいった。デービットの家族は10歳まえのにぎやかな女の子2人と10歳くらいの男のこの4人家族だ。おかあさんは亡くなっている。ヘロインで亡くなった、ということは近所の人たちはみんなしっていることで、残念ながら、このあたりではそんなに珍しい事ではないらしい。デービッドは子ども達のために良い父親で有りたいと、望みながら、彼女の死を自分のせいだと、して自責の念に苦しんでいるんだ、と昔ルームメ―トが教えてくれた。私の住むドーチェスター市は高級住宅地街とは一遍代わり治安があまりよくないので、ハロウィーンは子ども達の夜の外出になることも重なり、Trick or Treatもそんなに盛んではない。それでもそんなことは気にもせずに子ども達は電気のついている家を見つけると、元気に突進していき、ベルをならして、Trick or Treat? という。場合によっては「もうキャンディなくなっちゃった』とか、「うち、ハロウィーンやらないから」と断られているが、めげない。そんななかでもサウスエンドのようにデコレーションのある家や、おばあちゃんがニコニコ玄関なの前にいすを出して座ってキャンディを配っている家もある。近くのコンビニや、はたまた酒屋さんにいってまでTrick or Treatしてビーフジャーキーをもらってこどもたちも嬉しいそうだ。お菓子だけじゃなくて、子ども達は仮装して、お洒落なブーツをはいていたばっかりに転んで、泣いたり、はしゃいで夜道をはしっておこられたりにぎやかな一行だった。いろんな形、いろんなハロウィーン。私の初めてのTrick or Treatだった。

Cultured!!!

先週末、仕事でBat Mitzvah (バットミツバー)を撮影した。バットミツバーはユダヤ教での女の子の成人式だ。成人式といっても14、3歳の女の子がユダヤ教の歴史、トラ(ユダヤ教の聖典)を勉強し、一人前のユダヤ教徒としてシナゴーグに歓迎される、という事なのだが、私、アメリカ生活11年目で初めてバットミツバーにいった。(男の子の場合はBar Mitzvahという)

 

アメリカはよくSalad Ball, Melting potなどといわれ、多文化性をいわれるが、今回のことでいかに私を含め、多くの人がアメリカの多文化をもっと有効に活用できていない事に気づいた。私は新しいこと、もの大好きでいろんな所にいき、いろんなことを観てみたいタイプなのだが、ユダヤ人の友人に普通にいるし、バットミツバーについてはなんとかなく知識としてしっていたが、いままで11年間いったことがなかった、という事に自分でびっくりしている。アメリカ人のクリスチャンのルームメートに聞いてみたら、だれもボブ以外はバットミツバーにいったことがないという。人とは、いかに多文化のなかでもやはり無意識でも自分とにたような人たちとつるむ傾向にあるのだろうか。せっかく私はアメリカにいるのだから、この多文化生活をもっと有効に活用しなくては!!と思った。

バットミツバーとは。。。(私の先週の経験)

朝シナゴグ集合。

ラバイ(司教さん)と家族とバーミツバーの本人がオフィスでそこのシナゴグ発行の証明書サイン。

礼拝

バーミツバーのこがトラの一説をヘブライ語で朗読。

ヘブライ語で詩(?)をバットミツバーの子が歌う。

バーミツバーのこがシナゴグさんか一同にご挨拶。

 

(後、簡単なお説教みたいなのも有り、一同でもヘブライ語の賛美歌を歌う)

私はシナゴグにいくのも礼拝に参加するの初めてだった。印象はユダヤ教のトラは(英語訳しか私にはわからないかったが)詩的要素がつよくてきれいだなって思った。

Bat Mitzvah Party

まあ、普通のPartyなのだが、普通とちがうところは。。。

Challa というパンをおじいちゃんが祝福。

甘い赤ワインを祝福。

イスラエルの伝統ダンス、ホーラーダンスをみんなでおどる。

14の蠟燭ーーーバットミツバーの子、両親、家族、親戚と14個の蠟燭をバットミツバーの人生に大切な人たちが1個づつ火をつけていく。

バットミツバーの子やその家族が(普通の)いすにすわってみんなが御神輿わっしょい!!みたいにもちあげて一寸踊る。

 

ユダヤ教も派、地域、によっていろいろ宗派があって、バットミツバーのやり方なども違うらしい。あとユダヤ教の人と後日、話をしたら、伝統的なのは男の子のBar Mitzvahで、女の子の Bat Mitzvahは近年にはじまった習慣らしい。

新しい事を体験するのってとってもおもしろな!!!!もっとせっかくアメリカなんだから、いろんなことしなくちゃ!:D

Note to Self:

家に午後3時くらいにかえってきた。肌寒いがきれいな秋晴れの日だった。

部屋の整理整頓、洗濯する。

そうしていると近所の10歳くらいの男の子ケビンがルームメートのベンを訪ねてきた。ケビンは私にマンカラ(石のゲーム)をしようよ!っと積極的に誘ってきてくれる人懐っこい男の子だ。彼はケープベルデの子ではなくアフロアメリカンである。ベンの自転車直しの工具をかりにきたのだ。かえるときにまた彼は「マンカラいつできる?』ときいてきた。私自身がスケジュールめちゃくちゃなのでなかなか約束事が苦手だが、来週の日曜の午後に約束した。

 

5時くらいにしたにおりてくると、この秋はじめての火が暖炉に入っていた。日本には暖炉というものがないし、私は暖炉の火をみるのが好きだ。火が炭となった/なっていく木をつわって動いていくのを観ているのがとてもおもしろい。

暖炉の火を20分くらいみて、飽きてきたので散歩にいくことにした。外にでるとベンが前庭と歩道の枯れ木の掃除をしている。モナドナックを家から右のほうに2分くらいいった家の前庭にウィリーとジェフリーがいた。ジェフリーは21.2歳のなかなかかっこいい青年だ。ときどき岩で一緒にビールをのむが、いつもトレーナーにダボパンツに野球帽、身きれいにしているし、よっぱらいすぎることもないし、一般的にいって好感のもてると思う。ウィリーはうちのルームメートがいく近所の教会の牧師だ。異色(?)牧師というか、この辺で育ったウィリーは若い頃は相当な悪で結構名のしれた麻薬の売人だっただったらしい、仲間内の密告により刑務所にはいり品行方正だったので執行猶予付きで去年の春出てきた.10年刑務所生活をしたそうだ。(刑が短くっなって10年ってどれだけ麻薬売ってたんだ!!っておもうが。。。)彼は50代のガタイが大きい太ったおじさんで異色(?)の牧師というのだろうか。ウィリーのことはまた今度かくとして、私はウィリーと仲がけっこういい。夏の忙しくないときはウィリーのトラックでアイスクリームやホットドッグ食べにいったり、仕事(1人でちいさいな工務店をやっている)を手伝ったりしてた。エニウェイ。。。ウィリーの青いトラックがジェフリーの家の前で止まっていたのだ。

ジェフリーは私をみてちょっと顔を緩めたが、全体的に無表情をいうか、にこりともせず無口だった。ウィリーとはいつもどうりにこにこと世間話をした。『だれか引っ越すの?』ときくと近くに良い部屋があったから引っ越す友人の手伝いをしている、だそうだ。私はジェフリーに歩み寄り、なにか手伝うか、と聞くと、「いや、俺は言われた言われた事やってるだけだし、」と首をすくめなぜかそっけない。そこに顔なじむの細い60代くらいの黒人の女の人がきた。彼女はいつもスーツのようなちょっと大きめなジャケットとスカートをはいており、、、、良い表現ができないのだが、フレンドリーなのだが何となく『変』、または知り死滅なことが多い。昔、私がベニーたちと一緒に岩で飲んでたら、彼女がきて、もうじき億万長者と結婚して、盛大な結婚式をして大豪邸に引っ越すんだと、聞いていないのに20分くらい一人で話していった。彼女が立ち去ったあと、一人のケープベルデのおじちゃんが、「クレイジー。。あの人は麻薬と結婚したんだよ、」と言った.そういえば直前までいたジェフリーがそのとき岩から姿を消していた。エニウェイ。。。ジェフリーはそのひとがくると、『ねえ、10ドルちょうだいよ、くれるって言ったじゃん。」とぶっきらぼうに、相変わらずの無表情でいった。『ああ、いったね、でも今日の夜9時から仕事に行くときにお金必要だから、今はだめよ」と彼女。この人はなんの仕事をしているんだろう、と私はふと思った。ジェフリーは相変わらず静かだ。

話の流れから彼女の引っ越しということが分かった。少ない荷物があっという間にウィリーのトラックに積まれ、さあ、いく、というときに彼女が『Bye, bye, give Mommy kiss」とジェフリーにいうと、ジェフリーは無表情なまま彼女の頬にかるく口づけした。じゃ−ねーと陽気に彼女が出て行くのを、ジェフリーと私は見送った。ジェフリーは始終つかれたように無言だった。ジェフリーに笑顔を出させたくて、私は不用意に「あなた小さな男の子みたいな顔してるわよ。ママ寂しいの?」と冗談まぎれに笑いかけたら「別に、俺は大人の男だよ。それに彼女は別の所にいくのははじめてではないし』と私をまっすぐにみて返事をしてきた。

ジェフリーにそのままバイバイして、お散歩を続行。モナドナックと平行しているバージニア通りを続ける。バージニアはモナドナックと平行しているおとなりの道である。モナドナックに比べて静かで、一軒一軒の家の造りも大きく、一寸見はちょっと高級住宅地に迷い込んでしまった錯覚がある。でもこの短い道には2軒麻薬、お酒中毒の人たちのリハビリ共同生活の家(ハーフウェイハウス)があり、1軒のRooming houseがある。静かそうに見えるこの道、いえいえのなかにもたくさんのドラマが詰まっているんだな、、、と思いながらあるいた。そうしているとバージニアの1軒の家の階段のところにパジャマみたいなのをきた浮浪者風(失礼!)の男の人が寝ていた。

 

家にかえってきて忘れないように今日の出来事をかいている。何でもない出来事のつながりだが、なんとなく肌寒い日の心にしみ込む気がした。目をつむったらそのまま忘れてしまいそうな、私の小さな”思った事”たち。意味の無いことごとだが、心のしわになって忘れないでいきたい。と思った。

 

夜はうちで毎週恒例のSunday Dinnerがあった。夏まえに引っ越していったカナダ人の医者ルークが訪ねてきてくれて、ひさしぶりに食事のあとハウスメートが全員同じ部屋に集まった。家主のボブ、この冬に大好きな恋人と結婚しようとしている青年ベン、仕事で悩んでいる青年デービット、アルジェリアの異文化交流からかえってきたばかりの若いカナダ人医師ルーク、それに私。いろんな人たち、いろんな性格、私以外はみんなクリスチャンでギャップをかんじたり、いろんな事が有るときはありけれど(きっと他の人もそうおもっていると思うし)でこぼこないい家になったなって思った。

 

日常

ブログって何か書こう!って思うと、何をかいていいかわからなくなってしまうので、、、あまり深く考えずに。。。

 

先日、うちのそばを通るバス#15にのっていた。時間帯は多分午後1時くらいでバスの中をまばらに人が座席に座っているぐらいだったと思う。この#15のバスは私の住んでいるドーチェスター市を出発してロックスベリー市というとなりの市(といっても出発地点から終点まででもすいていれば30分くらいのルートだが)にいき、ボストンの電車Tのオレンジラインのラグル駅が終点だ。ラグル駅はボストンに万とある大学の1つであるノースイースタン大学の最寄り駅である。(というかノースイースタン大学構内に駅がある)。万に1つというと聞こえが悪いが、ボストン市内/近郊にはほんとうにたくさん大学がある。そしてほとんどの大学がケンブリッジにある2つの大学の陰になってしまう。。。

エニウェイ。。。私の目の前に向き合う形で25、6歳くらいの黒人の背のたかい, スラッとした女の子が座っていた。終点のラグル駅に近づいてきたら、いままでニコリともしていなかったその子が急に立ち上がって『ここわたしの大学なのー、これからから私ここにかようのよー!!』と躍り上がった。その子はそのままバスの運転手さんのところまで自己紹介まではしないものの、『えっとね、此れから私ここの大学にかようから、多分頻繁にこのバスのるからさ、よろしくね!』とご挨拶をした.バスの運転手さんはニコニコと「そっかー入学おめでとう」と笑っている。

 

ちなみに#15のバスルートであるドーチェスター/ロックスベリー地域の大学進学率は決して高くないのが残念な現実だ。私はそんな彼女をみて、日頃小さなことでも感謝していく、ということを忘れてしまっている自分に気図いた。クリスチャンである私の父がいつも言っていることを思い出した。「祈りなさい、そして全ての事に感謝しなさい』

別に人生について苦い気持ちを特別に持っている訳ではないが、年齢とともに最近、カッコつけも含め、嬉しい事を嬉しいと体で感じて、体でその気持ちを表現していない気がする。彼女をみて素直に表現する気取らないすばらしいさ、賢さ、を久しぶりに体感できた気がする。

 

ヘルシー簡単ごはん♪

先日日本の尊敬する写真家さんのブログに彼が最近たべたというズッキーニのチーズオーブン焼きについて書いてあったので見マネで作ってみたらとってもおいしかったのでご紹介♪

材料

ズッキーニ(大きいののがいいとおもう)

チーズ(私はチェダーを使いました)

 

作り方

ズッキーニを縦に半分にきる

半分の真ん中に結構大胆に包丁をいれて、まんなかに切り身をいれる。

チェダーチーズを適当な大きさにきって、差し込む。

オーブンに入れて焼く。

 

私はオーブンを温度設定せずにBroilにして焼きました。

チーズがとけはじめて、ズッキーニが柔らかく、白/透明っぽく火がとおったら出来上がり!

うちのオーブンでは5分くらいでした。

ズッキーニのみずみずしさとチーズがあってとってもおいしかったです!

Kさん、ありがとうございます!

お誕生日!!

夏の間にアップしなかった私の大好きなモナドナックの友人達の誕生日、お誕生。

 

7月の中旬にチャイニーズ(あだ名)の第1子が生まれた!彼の初めてのアメリカ人の息子誕生!アメリカは国内で生まれたらアメリカ人なので、グリーンカードを持っているチャイニーズよりも先に2ヶ月の息子さんのほうが先にアメリカ人になった〜!!

ベニーのお姉さんのルーシーの誕生日だった。私がケープベルデ クリオを話さないのでモナドナックに住むケープベルデの人たちの家族関係がよくわからないときもあるのだが、ルーシーはベニー、ダニー、ダルースの姉妹。誕生日には料理上手のダルースの手作り料理がいっぱいならんだ! 別の予定があったので誕生日会は8時くらいに私は失礼したのだが、パーテイーは朝の5時まで続いたそうだ...ちなみにルーシーは私のウェブサイトのモナドナック写真シリーズの1枚目の風船をふくらませている男の子のお母さん。

大の仲良し、かわいいカリート君(なんてかいたらおこられそうだが)月曜に祝26歳となった。若いっ!ダルース主宰の誕生日会が今週土曜にあるそうだ。私もちょっとは顔だしたいとおもっているが、土曜の日中は家主のボブ主宰のご近所イベントがあるので写真をとりにいこうとおもっているし、夜は夜で土曜なので出かける予定があるし、いそがしい1日になりそうだ。。

「毎日が誕生日、、、」というのもへんだが日本にいる友人、アメリカにいる友人の誕生日カレンダーをつくったら結構毎日埋まってしまいそう。と、かんがえるとなんだか毎日愛でたいいい気分だ♪

 

 

Lightroom 3 & Monadnock ご近所News!

Lightroom 3を職場でつかってみました。 ノイズリダクション、やばすぎる!すごい!!!下の写真ISO2400です!Lightroom 3でちょっといじっただけで、ノイズがきえた!!

モナドナックニュース

今日はボブの働いてるNPO主宰のMultiCultural Festival が近くの公園であるので、これからいってきます。私の基本レンズは24−70と50なんだけど、今日はもっと広角なのもっていってみます!目指せっ!!!Eugene Richards!!;)

Odd, Curious and Cool

先日ボストン大学の本屋さんにコーヒーを買いにはいったら、店頭で(私的に)うれしい&たのしい場面に遭遇した。 本屋さん入ってすぐのコーナーは今週/今月のお勧め本などの特集コーナーだ。そのときの特集はOdd, Curious and Cool (風変わり、好奇心、かっこいい)本だった。Odd, Curious and Cool な本がそのコーナーにはたくさん集められており、Odd, Curious and Coolと書いてあるバナーが大きくおいてある。そのバナーの真横に身なりのキチンとした初老の眼鏡をかけたおじいちゃんが手を後ろに組み、身だけ乗り出してを真剣に本を物色していた。『Odd, Curious and Cool』!!!

ボストン大学の本屋さんの前を通るたびにそのおじいちゃんを思い出す! 残念ながら写真はないのだが(写真家失格!!)、頭のフィルムでちゃんとカシャッと記憶に焼き付けた。

Friend Wedding

8月1日にとても親しくしている友人の結婚式にいってきた。 私は自分でいうのはなんだが、昔から友人にはとても恵まれていると思う。(というか恵まれている!と断定できる!!)けっしてそれに甘んじてはいけないのだろうが、昔から常にいい友達、一人っ子の私にこりずに優しくかまってくれるお姉さん格の友人がいる。友人と家族は私の数ずくない誇れるものだ。1日に結婚したカナダ系韓国人のリダも私の大切な友人でおねえさんだ。

結婚相手の人がドイツ人で2人ともボストン在住なので、リダの家族がカナダから、相手の方クリスチャン(という名前)の家族がドイツからやってきてのW国際(?)結婚だった。宗教を持たない二人は友人のJustice of Peace (結婚式をおこなう資格をもった一般人)によって、ボストンチャールズリバーを眺めるホテル最上階でおこなわれた結婚式で夫婦となった。ボストン最高級の夜景とふんだんに振る舞われたリダの好きなシャンペンあふれる都会的な二人にぴったりなすてきなweddingだった。

スピーチはクリスチャンのお父さん(新郎父)によるwedding party代表スピーチのみだった。その中でお父さんが 「この結婚式は私と妻にとってはとても感慨の’深いものでした。なぜなら、クリスチャンは私たちの長男であり、初めて結婚してく子どもでもあり、異国であるアメリカで私たちはこうして彼の結婚式に出席しています。ーーーーーー(省略)ーーー私たちはこれから私たちにとって異国であるアメリカで結婚生活をはじめていく若いカップルにいつでも、なにかあったら地図上では遠いけれども、「声をかければいつでもいる距離」に’いることを忘れないでほしい、、、』というものでした。そのスピーチを聞いていたら、それは私の両親の声(まあ、私は結婚する予定ないけどさ。。)、もしくは家族が海外、国内でもはなれている地にいる多くの「おとうさん&おかあさん」の声のようなきがした。。

スピーチは1部省略したが、性格よく、美人で気配り上手のリダはもうすっかりクリスチャンの家族の一員としてむかえられているのでご安心なく、、、、、、

2人の末永い幸せを!(私もわけてもらわなくては!!!)

モナドナックのいいところ♡

私の大好きなモナドナックストリートのいいところその1。

ご近所づきあい。

友人のカリートとベニーは近所のおばちゃん、おばあちゃんが買い物袋など荷物をもって歩いていると必ず荷物持ちをする(酔っぱらすぎていない時限定)。モナドナックの人たちが全員そういう人たちとは限らないけれど、子ども達があそんでいるところに荷物をもったおばちゃんが歩いていると、まわりの大人たちがかならずこどもたちに手伝わせる。そういうのって良いと思う。

このあいだお向かいのエリカおばあちゃんがスーパーの買い物袋もってたいへんそうだったから、私が手伝った。荷物をもって歩いていると近所の4歳くらいのジェイソンくんともう1人の女の子(ジェイソンと同じ年くらいの子で2人ともケープベルデの子達)が私について歩き、興味深そうにみていたので「手伝う?」ってきいたら、コクリとうなずいた。スーパーの袋のさきっちょを気持ちだけ一緒に握らせて歩いていった。エリカおばあちゃんはケープベルデ出身で英語が片言で股関節が今日は痛むといった。おうちまで運んであげたら、私に礼をいい、子ども達に買い物袋からみかんを取り出し、1個づつお駄賃代わりにあげた。2人は「オブリガート」(ポルトガル語でありがとう)とエリカおばあちゃんに小さな声でお礼をいって外に駆け出していった。

2人はそのまま大人達のいる岩の木の下まで走っていき、みかんをむいて食べはじめた。なんでもないことだけど、こういうことがずっと続くと言いなって思った。

あつい。。。

7月4日のアメリカ独立記念日はセレブな友達の屋上プールでまったり&花火をみるなんてリッチなことをしてうかれた独立記念日をすごしたが、2日たった今日は所詮、冷房のない蒸し暑い自室でコンピューターにむかうという日常にもどってきている。

このごろ蒸し暑い日がボストンでは続いている。今日は特に今年の最高気温更新かも。。くらいあつくなるらしい。基本、私は熱帯人なので、あついのは平気だが、ボストン、夏と言えば、夏休みが始まり学校が終わった10代のこたちがはめを外しすぎて遊んだり、夜遅くまで外出する時期でもある。日本でもそうだろうが、当然少年犯罪率も上がり、悲劇もおこる。私の住むモナドナックも例外ではない。というか、そういうこたちのメッカだ。私の部屋は3階なのだか、夜な夜な深夜3時頃まで、しゃべり声、カーステレオ、時には怒鳴り声も聞こえる。この辺の老若男女はしっているので、喧嘩の声が聞こえても怖いと思う事はないが、時々、内容を聞いているとそんなことをいって大丈夫なのか、と後々心配になるような事も言っている。くれぐれも気をつけて、この夏みんな無事でいてほしい。自分の思春期を振り返っても思う事だが馬鹿をするし、無茶もするのが成長の過程、(私も悪さしました。今は反省?しています)でも私が育った環境には銃は存在しなかった。

夜な夜なモナドナックでたむろっているグループはほぼ男の子なのだが、その中に紅1点で女の子が1人いる。お向かいにすむ16歳のジャネットだ。16歳にしてはガタイもよく、迫力は男子に負けない彼女で、声が高くてよく通る。ジャネットがそとで喧嘩をすると近所中につつぬけだ。4年まえに引っ越してきたとき、私は自宅のポーチで本を読んでいた。引っ越し助っ人数が家具にあわせて足りていなかったので、グッドサマリタンとして手伝った。過去に私自身も引っ越し先のまだ面識のなかった隣人に家具を運ぶのを手伝ってもらった事も有るし、暇だったし、新しい隣人がどんな人か知りたく好奇心もあって手伝った。ぎゃんぎゃんと私のまわりにいて写真とって、こうやってとって!と騒々しかった(今でも騒々しいが)彼女だったが、今は16歳特有のつんとした雰囲気を身につけ、髪には赤のハイライトをちゃんといれ、すれしがうとぶっちょうずらで『HI, KEIKO」と通り過ぎていく。

7月4日の夜、花火を見終わって12時くらいに家にかえってきたら、ジャネットが相変わらず4人の男の子達と退屈そうにたむろっていた。その夜は久しぶりにジャネットのほうからなにやってるの?と歩み寄ってきた。一緒にいた男子の2人はは見ない顔で、「このへんに住んでるの?みたことないけど」とちょっとうさんくさそうに私をちろちろ観てきたとき、ジャネットが「けいこはここのずーっと住んでるの、あんたがしらないだけでしょ。」とぴしゃりいった。なんとなくうれしかった。そのあと私たち2人はのどが乾いていたので、ジャネットの家に一緒に水をとりにかえった。ジャネットが「4TH JULYって退屈。去年も楽しくなかったし、今年だって飽き飽きしちゃう。」といったので私は「4TH JULYってだけで、何となく期待しちゃうのよ。期待も何もない日なら、こんなもんだって退屈はしないけど、期待するから退屈って感じるの。誕生日とおなじよ。」といった。ジャネットはふとかんがえてそうかもしれない、といった。「ねえ、ジャネット、私がジャネットの家族がマナドナックに引っ越してきたとき手伝ったのおぼえている?」と聞いてみた。首を一瞬かしげて、「あ!そうだ!おぼえるー!」と11歳のときと同じ笑顔が彼女に広がった。

ジャネットとのその夜の短い会話で自分発見があった.私は常に受け入れられたいんだなと思った。別に拒絶されていたり嫌われているわけではないけれど、肯定されたいだなってなんか思った。もしかしたら私が写真を撮り始めた、撮っているのはそういう気持ちからかもしれない、と思った.写真は目のつけどころ、視点が大切といいます。私は自分の視点に自信があるから写真を撮るんじゃなくて、自信がないからとってるのかな。。。Ego??? 秋の夜長では有りませんが、夏の熱夜に思った事でした!

 

 

Summer Solitice♪

久しぶりのブログエントリー♪

ブログに書きたい事はたくさんある気がするんだけど、なかなかもやもやした気持ちが続いていました。。はい。

と、いうことでボストン最近の夏事情。

6月21日はSummer Solisticeでした!(プラス父の誕生日V) ボストン11年目にしてはじめてSummer Solitice(夏至)という単語をしりました。1年で1番、日が長い日。Soliticeには絶対に海をみながらカラマリ(イタリア料理のイカリング)が食べたいっ!という友人と一緒に海を観ながらカラマリたべてきました! 控えめにいってもお酒は嫌いではないたちなので、「やっぱり夏はいい」とか「これからは下り坂だ(Solitice以降はちょっとづつ日が短くなる事にかけて)」などとぐたぐたいいながら乾杯しました。

 

↑マニアックな自慢だが、この写真は飲み食いしながら撮ったので、3脚はつかわなかった!!自分でもよく静止できていたと、ほめてあげたい!

 

↓Soliticeといってもやっぱり日はくれる! 飲む量に比例して、視点が地面に近くなるのがわかりやすくてよい ww

 

 

Happy Dot Day!!

我が愛すべきHood、ドーチェスターのお祭り、ドーチェスターデイパレード。(通称 Dot Day Parade).

VIVA Dorchester!!!

 

 

 

 

 

 

Memorial day

先週の月曜日はアメリカの祝日、メモリアルデイでした。一般的にはメモリアルデイはバーベーキュー&夏のはじまり、みたいな日。でももともとのメモリアルデイは従軍中になくなったアメリカの軍人を偲ぶ日。南北戦争から現在も続くイラク戦争でなくなった人たちを偲び、感謝しよう!という日です。今では軍人さんだけではなくて、ふつうの御墓参りの日もかねています。

戦争の多いアメリカでは軍人さん、もと軍人さんは身近な存在です。日本人の私でも、近所に住んでいたダイアナは今陸軍でイラクに従軍中、高校留学時代の友人はマリーンでアフガニスタンに4月からいっていて、昔のルームメートも陸軍でドイツの米軍基地に5年いた、と軍人さん、もと軍人さんはまわりにいっぱいいます。というわけで先週の月曜は地元のメモリアルデイサービスを見学してきました。

地元ドーチェスツター市の軍派出所/クラブハウスみたいなところから、それそれの勲章、ユニフォームをきた歴代軍人の人たちが近くの墓地までパレード。パレードの道筋にはアメリカの国旗をもった見物人がいっぱい。さすがアメリカ人。長銃を持っている部隊はパレードの最中に空砲で式典的にで空にむかってうって歩きます。ぱーんと大きな音がするし、日本人のわたしには少し怖かったです。

いくら見せ物としても、真昼間から銃で武装した軍人さん達が住宅街を練り歩く、此れがもし日本で自衛隊だったら...(笑)など考えながら、アンソポロジー的に楽しかったです。墓地についたらパレードの疲れ落としに休息/自由時間。献花、政治家、その他のスピーチが続く式が墓地で行われ、またパレードでドーチェスター市の違う軍派出所(出発地点より近い)に戻る.というコースでした。ちなみに私が見学したメモリアルデイサービスがマサチューセッツ州で1番古いそうです。

今年のドーチェスターメモリアルデイに参加していた本人の軍人さんは第2次世界大戦従軍者。南北戦争時の兵隊さんの仮装(?)をしている人たちもいました。

パレードの終着地点。大砲がありました。。。すごい。。。

退役軍人さん。渋くて素敵な顔。。

南北戦争の兵隊に仮装(?)した人たち。

献花

墓地にて

パレード

パレードの見学者

墓地にて

ワイン

このごろ夏日がボストンで続いている。 私は夏の夜が大好きだ。外にいつまでいても寒くないし、朝寝坊の私には日没が遅くなる事でなんとなく1日を長く感じられるのも嬉しい。冬など日没が早いと起きてから5ー6時間で日が沈み始めると気がめいってしまう。

このごろの夏夜のお気に入りの時間の過ごし方は赤ワインを飲みながら表のポーチで本を読むことだ。英語の本を読む事は嫌いだが、私は日本の活字がすきだ。本のジャンルはほぼなんでもかまわない。時代小説、純文学、エッセイ、ミステリー.友人から借りられる本をなんでも読む。我が家の表ポーチはマナドナックストリートに面しているので、本を読みながらストリートアクテイビテイの見学が出来るのも好きだし、時にはきまくれビジターもきてくれる。先日友人カリート君の弟ニックがふらふらと夜遅く歩いていたので、声をかけたらよっていってくれた。ポーチに一緒に座って他愛話をしたあと、一緒に30分くらい本を読んだ.私の読んでいる本は日本語だったので私の所有する数少ないし英語の本のなかで「偉大なるギャツビー」を貸した。ニックは今年でおそらく21歳、22歳になる青年で高校に通っている。お酒もタバコもやらない。好きな科目は数学で嫌いなのは英語といったので本を一緒に読む事に賛成したときにはちょっとびっくりした。彼をしては別にやる事も無いし、暇つぶしに賛成したのだろうが、ポーチの隣におとなしく座って偉大なるギャツビーに目を通している彼を盗み観ていると、こうやったのんびりした時間が一緒にすごせてうれしかった。彼はモナドナックを通る人を時々鋭い目で観ていた。こんなところで私と読書しているところを友人に観られたら恥ずかしいのかなとおもった。30分くらいすると彼を立ち上がっておなかがすいたから家にかえるといってかえっていった。時間はもう夜11時を回っていたが今日1食目だといっていた。彼の家の方針は方針の無い生活だ。

彼がかえっていった後1時間くらいして、私も部屋にかえって寝支度をしようと思った。ふと思う事が有り、ポーチの床においてあったワイングラスを持ち上げて、グラスを傾け少し残っていた赤ワインを地面にこぼした。この辺の男の子達がビールを飲んでいるときによくやる動作だ。前にその意味を聞いた時、それは昔の仲間、もういなくなっちまった奴らの分だ、(死んだ友人)と教えてくれた。私は幸い友人を今のところ、亡くした事は無いし、初めて聞いたときにはとてもセンチメンタルなことをするものだと思ったが、ほろ酔いなのか私の脳には何となくその動作が今はしっくりきた。ただし私の場合は死んでいった人たちに対してではなくて今の地面(地球)で過去、これからもつながっている人たち、と思った。よくボストンにきたはじめの頃は海をみると、(ボストンの海は大西洋だが)、これをずっとずーっといくと日本があるっmだっ!とセンチな感傷にひたっていた。それと同じ気分の自己満足のセンチ感傷だが、時にはそういうことも必要!とおもっている。

 street graffiti

 

Walk for Haiti

先週末にWalk for Haitiというハイチプライドのマーチにいってきました.素では人ごみはあまり好きではないんだけど(写真家として以外は)州議事堂でやった写真展示会の関係で今回は歩いてきました。私はWalk For Haitiは今年が初参加だったんだけど、1月にハイチでおこった地震の影響もあり今年は例年より参加者が多かったそうです。 晴天で顔には日焼け止め塗ったんだけど、ノースリーブで肩はすっかり日焼けしてしまいました!

Walk For Haiti

州知事

ガールスカウト隊員

マーチングバンド

レターH

政治家

モナドナックの人たち

仕事のあと午後10時くらいにバス停から家に向かって歩いていたら、岩のところにいつもの面子、ベ二ー、カリートとチャイニーズ(ケープベルデ出身だがアジア人ぽいっという理由でチャイニーズがあだ名の20代の男の子)がそろって木の下で夕涼み(夜涼み)をしていた。「ああ、つかれた」とか『元気?』とか今日はなにをした、など他愛のない雑談のあとにケープベルデからきたばっかりという30ー40代の男の人を紹介された。マニュエル.カルロスという名前らしい。らしいというのも彼がほとんど英語がしゃべれないからだ。カリートが英語ではマニーという名前だと教えてくれた。マニーはポルトガル語とケープベルデクリオというケープベルデ現地の言葉がしゃべれて、スペイン語もほぼ分かる。今英語を勉強中らしい。人の良さそうなニコニコした人だ。私も新しい人好きだし、英語を母国語に持たないもの同士の共感より一生懸命ゆっくり簡単な英単語でお話しようとしたがなかなか意思疎通がとれない。こういうときって何となく不思議な気分になる。お互いに意思疎通をはかろうと努力しているのは分かるし、時々何となく言いたいことが分かるときもあるし、私は普段は ”人同士、言葉がつうじなくてもわかりあえる”をモットーにしているのに、やっぱり共通語なしにはわからない。

カリートがマニーはパパ(この辺のケープベルデ1族の長)の息子さんでちょっと前にアメリカにきたんだよ、とまた教えてくれた。マニーは片言の英語で、週3回近くの公民館で英語の授業とコンピューターの授業をとっているといった。英語の先生はイタリア人(おそらくイタリアン系アメリカ人)でいい人で、歩いて公民館までいっている、と一生懸命教えてくれた。公民館まで遠くない?と聞くと、「遠くない」と指で歩く人のまねをして答えた。あとは近所の話をちょっとしたりした。会話の中で私にとって1番印象に残ったのはマニーが『こういうこと(公民館でとっているコンピュータクラス)を学ぶは移民として大切なことだと思うから」と言った事だった。アメリカ社会は自己主張や権利主張がつよく、マニーのいう「ーーとしてすべき事(自分の利己、権利主張とは直結した関係がなく)/大切な事」ということを久しく自分が考えていない事に気づいた。私が最後に「私として大切なこと」を考えたのはいつだっただろう、と考えてしまった。

最終的にはマニーはめぐまれていると思う.ケープベルデから移民としてきて、英語がしゃべれないとしても週3回コンピューター、英語のクラスをとる余裕ある人はアメリカンドリームを求めてくる移民の人たちの中にはあまりいない。私はアメリカに住んでいるが、もともとは大学留学としてアメリカにきて卒業後、仕事をみつけて居着いてしまったパターンである。アメリカ社会の複雑さや移民についてなど教科書上の知識以外、全く知らずに今まで過ごしてきた。(私もアメリカ人からみれば移民にみえるのだろうか...いつおうビザは非移民だし、一応「移住」はしてないつもりだが。。。)

何が言いたいのか分からなくなってしまったが、モナドナックの人たちが私が知らずにきたこと、考えなかった事など新しい視点をみせてくれる。ということがいいたかったのかな。。。

 

 

MA State House モナドナックストリート展示会開始

5月10日(月)ー5月14日(金)の1週間、MA State House (最寄り駅:パークストリート)Doric Hallにてモナドナックストリート写真展示会は催します。今回は34点展示とモナドナック写真展示で最大のボリュームです。ウェブ上も含め未発表写真がたくさんあります。どうぞ御出かけくださいませ。

5月14日(金)にはクロージングリセプションを午後4時から午後6時まで行います。皆様のお越しを御待ちしております。(軽食、飲み物 有り)

PRESS RELEASE

 Who:         Keiko Hiromi, Photographer and Dorchester Resident

 What:        Monadnock Street: an Exhibition of Photographs from a Dorchester Neighborhood

 Where:      Doric Hall, State House, 24 Beacon St., Boston, MA

 When:       Monday, May 10, 2010 to Friday, May 14, 2010

                  *Meet-the-Artist Reception:  Friday, May 14, 2010; 4-6pm

 Sponsored by State Representative Marie St. Fleur, 5th Suffolk District

Background:  Keiko Hiromi’s “Monadnock Street,” a series of black and white photographs on view during the week of May 10 to May 14 at Doric Hall in the Massachusetts State House, features photographs of neighborhood residents, many of them first and second generation immigrants living in Dorchester, MA, where Hiromi also lives.  Her raw, yet sensitive photographs show the daily lives of the people who live on Monadnock Street.

Hiromi came from Japan to Boston 11 years ago to study in Boston, She graduated from New England School of Photography in 2005. Coming from a non-American point of view, these photographs have come to be powerful and enlightening for everyone who has viewed them.  “Monadnock Street” is a personal project for Hiromi, helping her come to realize more about herself and allowing her to learn and understand what it means to be a part of a community in an American society.

Besides exhibiting in several venues across America, Hiromi has participated at the Griffin Museum of Photography’s annual juried show in Boston, Simmons College Curatorial Studies Students’ show and the Photo Resource Center at Boston University. She has also won numerous awards for Monadnock Street, including Project Basho and Griffin Museum Emerging Artists Awards.

The Monadnock Street neighborhood has been a melting pot for immigrants over the better part of the last century.  Thus it has a unique, vibrant quality not seen on other streets.  Looking at Hiromi’s Monadnock Street, State Representative Marie St. Fleur commented, “Keiko Hiromi’s photographs are quite arresting, they capture the vibrancy, intensity, scarcity yet wealth in the lives of the Monadnock Street community.”

Contact: Keiko Hiromi – 617-869-2262/ http://www.keikohiromi.com/

Diane Wignall -- 617 722-2800 X8582

Robert Haas – 617-442-9670 x11